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アフガニスタン「アフター9.11」

JVCアフガニスタン事務所 治安・総務担当 サビルッラー・メムラワル
2013年9月10日 更新

アフガニスタン現地事務所で治安と総務を担当するスタッフ、サビルッラー・メムラワルが、9.11の日に合わせ、文章を寄せてくれました。「9.11後」アフガニスタンをめぐる光と影...現地の人々が抱く得体のしれない不安なようなものが感じられます。

これまでのことは現実でなく、ドラマかゲームのようなものだったのかもしれない...。

9.11は、世界中で記憶に残る言葉である。私たちは、9.11を小もしくは半「第三次世界大戦」と呼ぶことができるだろう。なぜなら、9.11以降、世界のおよそ半分の国が、軍隊、政治家、諜報機関などを通じてアフガニスタンに関与したからである。アフガニスタンを支援するためという国もあれば、政治的な利害からという国もあった。

9.11は、アフガニスタンにおいて変化を表す言葉である。9.11後、アフガニスタンでは、タリバン政権が崩壊した。人びとの生活様式は変化し、国際社会とつながることとなった。1990年にアフガニスタン人が自国からソ連を追い出してから、国際社会とアメリカからアフガニスタンは忘れ去られ、内戦が起こり、その結果、アフガニスタンはアル・カーイダやその他の「テロリスト」の活動拠点となってしまった。アフガニスタンの人びとにとって、この内戦は非常に厳しく辛い状況であり、よって、タリバンは、アフガニスタンの人びとにとって自分たちの生活を守ってくれる希望として受けとめられたのである。

9.11の後、タリバン政権が完全に駆逐されてから、アメリカとその同盟国は、タリバンに替わる正統で安定した新政府を設立することができると主張した。アメリカのアフガニスタンでの戦争の間、戦闘の中でアフガニスタンの人びとが殺された。しかし、人びとはアメリカとその同盟国が現実的な約束を示しているという希望を持っていた。

2001年のボン国際会議は、新生アフガニスタンの門出となった。

それからの12年の間で、アフガニスタンの国家再建が始まり、民主的な枠組みに基づく政府を持つにいたった。このことはアフガニスタンにとって重要なことである。

公園で遊ぶ子どもたち公園で遊ぶ子どもたち

アフガニスタンの憲法、法体系、司法部門が作られ、それは、平和で民主的かつ発展したアフガニスタンの未来への希望の礎となった。

この12年間、アフガニスタンは国家再建の過程にあり、多くの国際会議が開かれ、多くの新生アフガニスタンの再建に関する合意が生まれた。アフガニスタンの国旗が国連本部や世界中にも掲げられ、こうしたアフガニスタンの国際社会への復帰を象徴する出来事は、非常に誇らしいものだった。

アフガニスタンの人びとは、平和と、国内の違法な武装集団(つまり内戦の主たるアクターである軍閥)の武装解除を最も望んでいた。したがって、DDR(武装解除・動員解除・社会復帰)の過程は、アフガニスタン国家にとって建設的な対応であった。

アフガニスタン国軍の再建もまた、アフガニスタンにとって大きな前進であった。

学校の子どもたち学校の子どもたち

教育と健康は、アフガニスタンの最も前進した分野である。教育分野は、アフガニスタンにとって最も重要である。教育省の報告書によれば、2,750万人の人口のアフガニスタンに、1万6千の学校があり、1,050万の子どもが学校に通っている。また、政府に代わって多くの私立教育機関が活動している。

保健もまた、アフガニスタンのような国では重要な分野であり、全ての人への無償保健サービスが制度上は保障され、国際組織の支援に基づくいくつかの調査によると、アフガニスタンの人口の70%が、保健に関する直接的なサービスを享受できている。アフガニスタンで活動しているNGOコミュニティが保健分野への支援をすることで、「全ての人びとに健康を」が可能になっている。

メディアに関しては、タリバン政権が崩壊し新政府が樹立されてから、言論・出版の自由に関する新しい状況がうまれた。これまでの12年においては、アフガニスタンのメディアは情報を提供し、注意を喚起し、啓発を行い、そして政府の行いについて批判するうえで、非常に重要かつ効果的な役割を担ってきた。今、アフガニスタンでは30にも及ぶ民間の電子メディアのチャンネルがある。

アフガニスタンでは、大統領選挙、議会選挙、地方議会の選挙がそれぞれ二度行われた。そうした中で、人びとは候補者たちに投票した。これは、アフガニスタンにおける民主主義を示すものである。人びとは初めてアフガニスタンの民主的な選挙プロセスに参加した。

アフガニスタン国内では市民社会組織が設立され、国際的な市民社会組織の助けによって活動を開始した。アフガニスタンにおける市民社会の名の下でこうした活動ははじめてのことであった。

アフガニスタンにおける女性の能力強化については、アフガニスタンでは、現在政府の役職に女性が登用されるようになり、女性が上院、下院、地方議会に、議席をもつようになった。地方の知事や政府の大臣など、あらゆる行政組織において、一定の男女の平等が進んでいることを見ることができる。また、女性は、フットボール、バレーボール、バスケットボールなどのスポーツの面でも活躍が見られる。

アフガニスタンのスポーツの分野はとても早く復興し、今や、世界の大きなスポーツイベントに参加するようになった。

筆者(後列の背の高い男性):クリケットチームと筆者(後列の背の高い男性):クリケットチームと

経済の分野では、アフガニスタンは、2001年以後、危機に瀕している。しかし、多くのプロジェクトが実施されているし、現在のアフガニスタンに影響を与えるような巨大な単発のプロジェクトが無くても、数兆ドルのお金が、アフガニスタンに流れ込んでくる。これは、一時的にはアフガニスタンの人びとを助け、民間部門の雇用が促進され、中小規模の起業がなされ、ビジネスにも関心が持たれるようになり、銀行も作られ、道路も作られた。

2001年から、アフガニスタンの人々は、治安と経済の安定に希望と夢を持ち始め、上手くいっていた部分はある。

世界中から多くの国際的な専門家がアフガニスタンに集まり、アフガニスタンの人びとともに働き、基礎からあらゆる分野の再建を手伝ったことは、アフガニスタンにとって、一国・一地域からではなく多くの国・地域から来る多様なバックグラウンドを持つ専門家から学ぶ良い機会となり、新しい考え方などがアフガニスタンにもたらされた。

これらのあらゆる改善と復興の過程は、2005年までは上手くいっていた。しかしその後、治安状況は再び悪化し、日に日に汚職が増えていった。武装集団が再び力を盛り返し、外国軍が、アフガニスタンの市民にひどい扱いをするようになり、カルザイ政権の弱点も日に日に明らかになっていった。司法へのアクセスも腐敗のため困難を極めた。

多くの学校は閉鎖され、女子教育は、治安の悪さ、女子学校への放火などから地方では夢のまた夢となってしまった。いま、女子教育へのアクセスが確保されているのは都市部のみである。支援の額も減ってきている。アフガニスタンの経済は外国からの援助に依存しているため、人びとは仕事や支援を失うようになっている。アフガニスタンは、天然資源が非常に豊富であるが、この12年間 天然資源の分野には注目されてこなかった。

一般的に、9.11は、アフガニスタンにとって完全な変化を表す言葉であった。しかし、いまやそれは過去の夢のように見える。アフガニスタンは今、2001年からの12年間に達成したもの全てを失っている。達成されたものは持続し、今後も情勢が好転していくであろうと信じられているが、達成したものも単なる一時的なもので、今やアフガニスタンは歴史的に見ても、より困難な時期にある。

治安の悪化は頂点に達し、政府の腐敗・汚職も、最悪の状況である。普通の市民にとって正義を実現することは不可能で、人びとは犯罪を非常に恐れている。

今、アフガニスタンの人びとは危機に瀕しており、国外に逃れようとしている人もいる。一方で、外国軍も同様に撤退しようとしている。外国軍はアフガニスタンの人びとに未来についての美しい夢を見せようとしたが、それは全てなくなってしまった。だからアフガニスタンの人びとは、9.11を現実のものと思いたくない。もしかすると、これはドラマだったか、何かの計画の一部だったのかもしれない。

アフガニスタン国家は、「対テロリスト」9.11キャンペーンに全身全霊をささげている。しかし、そのミッションが完結しないことを考えると、これまでのことはゲームだったとも思われる。アフガニスタンは安全でない。人びとの生活は安全ではない。私たちが望むものが満たされるような進歩の兆候が今は見えない。国際社会からアフガニスタンへの治安権限委譲の後(外国軍撤退の後)、アフガニスタンの治安を守れる軍事的な備えはないだろう。

(注:9月11日に一部修正しました)

翻訳:曽根啓太(2013年度アフガニスタン事業インターン)
監訳:小野山亮/加藤真希(アフガニスタン事業担当職員)