選挙当日私たちはパキスタンに退避していました。パキスタンのイスラマバードから電話でジャララバードにいるスタッフに選挙当日の様子を聞きました。その情報を一つの材料にして今回の選挙の問題点を考えてみました。このレポートでは主に今回の選挙の制度にまつわる問題について触れてみようと思います。
ジャララバードで投票したJVCスタッフのハヤトラの報告では、投票所では投票したい候補者を見つけ出すのに難渋している人間が多かったそうです。それもそのはずです。国会だけで200人近い立候補者がいるのです。何枚にもなる候補者リストのなかから一人を見つけ出すのは大変なはずです。特に読み書きのできない人は、豆粒のような写真と紛らわしいトレードマークを判別しなければならないのですからなおさらです。投票するまで10分以上かかる人間が何人もいたそうです。
混雑する投票所で誰に投票していいか分からず当惑している人、誰にするか決めてきたはずなのに見つけられずに慌てている人たちの様子が目に浮かぶようです。このような人たちを目ざとく見つけて巧みに、または露骨に、特定の候補者に票をいれるように誘導するやからがいました。投票エージェントや選挙係員、警備の警官などの不正がいくつも報告されています。ジャララバードのある投票所では、あらかじめある候補者に記しがつけられた投票用紙が配られたといいます。
また今回の選挙を分かりにくくさせている理由の一つに、争点がはっきりしないということがあります。投票率が53%と低かった理由にこのことを挙げる人もいます。外部からみている私自身、みんなは一体何を基準に候補者を選ぶのかと疑問に思っていました。ハヤトラ(男)は投票の効果がもっともはっきり出るであろうと思われる女性の候補者を選んだといいます。女性にチャンスを与えたかったといいます。彼の奥さんに自分の判断で選ぶようにと言い含めましたが、彼女もハヤトラと同じ女性に投票したそうです。
実際に候補者を公約で選ぶのは困難なことだと思われます。皆同じような公約を口にしていました。しかも何でもかんでも欲張って公約するので皆似かよったものになってしまうのでしょう。教育を普及する、学校を建てる、病院を建てる、道を良くする、人権を守る等々。そんな中で、女性が議会に進出すれば女性の社会進出が身をもって示されます。眉唾のきれいごとを並べる議員の多い中で、これほど当選すれば公約が結果となって現れる候補者はないともいえます。結構女性の当選者は多いかもしれません。また別のスタッフのサビルラ(男)はできもしないのに多くのことを公約するのではなく、的を絞って政策を訴えた人に入れたといいます。その人は教育に重点をおいていました。その人も女性でした。
的を絞った政策を持った候補もいたでしょうし、活動のバックグラウンドに照らして自らその政策が明瞭だという人もいたでしょう。しかし多くの候補者が似たようなショッピングリストを掲げて並び立っていたわけで、選ぶ方は苦労したはずです。選挙に行かない人、同郷出身者などの個人的なつながりで選ぶ人、元ムジャヒディンではないとか武装勢力を背景にもっていないといった消去法で選ぶ人が多かったのではないかと思います。
候補者が多数乱立した理由として、今回の選挙の制度に伴う問題が挙げられます。それは以下のような問題です。
(1)政党が候補者を擁立したり、候補者リストに従って政党そのものを選ぶ政党選挙ではなく、個人として立候補した候補者を選出する方式であった。
(2)州を選挙区とする大選挙区制で、選挙人は自分の所属する州からたった一人を選ばなければならなかった。
昨年制定された新しい選挙法では、「単一非移譲投票制」(SNTV Single Non-Transfer Voteのこと。正式な訳ではない)が採用されました。この方式を採用するに当たってはカルザイの強い意向が働いていたといいます。これは政党ごとの候補者リストの上位者が政党の得票比率に従って当選する比例代表制を採用せず、一元的な個人単一投票だったということです。候補者が政党の推薦を得ることは妨げないが、あくまでも個人の資格で立候補することになっていたのです。また助成金が政党に対してではなく個人に対して支払われたことも個人立候補を促進しました。今回の選挙は70あまりの政党があったにも関わらず、政党の影が薄い選挙だったのです。(立候補者で所属政党を届け出た候補者が全体の12%しかなかったといいます)日本のように多数政党の党首が行政府の長になるという議員内閣制ではなくアメリカ方式の大統領制であったことにも関係するかもしれません。
加えて、選挙区が県単位だったことも立候補者が乱立した理由として挙げられます。国会下院の総議席が249人、それに対して2,760人が立候補しました。カブール選挙区では議席数33に対して430人、ジャララバードのあるナンガルハル選挙区では議席19に対して179人(男性161人、女性18人)でした。平均すると当選者は立候補者中の1割に満たないことになります。例えばカブールを例にあげると、8%の票を取れば確実に当選します。得票率の高い人が何人かいれば1%程度の得票で当選できる人がいるといわれているのです。一般的に1,000票獲得すれば当選するとも言われています。いずれにしても、当選者は一割に満たないのですから、投票する人にとっては、選択肢は多いが、死票になる確率も高いのです。
パキスタン英字紙Nation掲載のNNIの論評によると、最下位の当選者と落選者は0.1%の差で当否が分かれるといいます。0.1の差で落選した人は落選の事実を受け入れにくいともいいます。選挙法では、当選者が死んだ場合、次選の候補者が繰り上げ当選することになっています。これを称して「暗殺条項」という人もいるのだそうです。つまり、次選者は当選した人を一人殺せば当選できるわけです。選挙結果の発表後暗殺がはびこるかどうか注意して見ている必要がありそうです。すでに投票時、集計時にさまざまな不正があったとクレームをつける立候補者が後を絶たないのですから、選挙結果発表後の混乱は想像に難くありません。
一体国会はどのようになるでしょうか。国民の声を反映し、国の政策を立法化することができるでしょうか。また行政府の施策をチェックすることができるでしょうか。政党を基盤としていない議会の多くがそうであるように、議員自身と議員の支持サークルの利益を追求する利権争奪の場になりかねないという懸念を抱かざるを得ません。The Christian Society Monitor は、カルザイ大統領のこれまでの政治手法が利益誘導によって政治家の支持を獲得するものだったとして、個人的利益追求に走る議員の多くがカルザイの陣笠議員に成り下がるであろうと論評しています。
アフガニスタンには政党制に基づく選挙の経験はないに等しいのです。過去に行われた選挙も個人や部族の利益を代表することが中心の選挙だったのです。政党を基盤としない選挙の例として、1964年憲法に基づいて行われた65年の国会選挙の結果は歴史の教訓として記憶しておくべきです。1964年憲法はアフガニスタンでもっとも民主的な憲法といわれていますが、65年の選挙は政党法が作られないまま行われました。議会、特に下院では、政府の政策がことごとく非難を浴びせられ、立法も政策の実施もスムーズには行われなかったといいます。皮肉にもこの時は政府の政党がないことで問題だったのです。またエリート層と下層階級が分裂したともいわれています。
カルザイ大統領がSNTV方式に固執した理由の一つに、大統領選でカルザイと対立したカヌーニ元教育大臣を初め北部同盟系の有力者が政党を作って連立する形勢にあったことが考えられます。一方カルザイは政治基盤を持たないいわばアメリカの投下した落下傘大統領です。自分の支持政党を作るには時間が足りなかったといえます。SNTVであれば議員を個人として懐柔しやすくなります。うがった見方かもしれませんが、65年選挙の教訓を踏まえて、政府の支持政党が存在しないのであれば、反対政党の力も結集させないように議員を分断しようとしたのではないでしょうか。
とはいえ、選挙の結果を見るにあたって政党の要因を無視することもできません。争点の分かりにくい選挙ではあっても、当選者と現大統領との距離を見ることである程度国会の性格が見えてくるはずです。国会選挙が始まった時点で、主なものとして3つの政党連合結成の兆がありました。北部同盟系の反カルザイ派の連合とカルザイ支持派の連合、そして中間派の連合です。反カルザイ派とカルザイ支持派の対立の争点と考えられるのは、大統領権限の範囲をどうするかという点です。反対派は議会の権限を強めるために、議会選出の首相制を導入しようとし、支持派はそれに対抗するでしょう。中間派や個々の議員を各陣営に引き入れるために、虚虚実実の駆け引きが行われるはずです。
選挙の結果を見る視点としてもう一つ重要な点があります。軍閥や軍閥の息のかかった立候補者が何人そして何票で当選するかという点です。軍閥立候補の問題はアフガニスタンの政治を語る上で重要なので別途論じる必要がありますが、ここでは選挙結果との関係で述べるにとどめることにします。今回の国会議員選挙では多くの軍閥や「人道に対する罪」を疑われる人間が立候補しています。この問題は選挙制度の問題というより、制度の運用の問題だといえます。選挙法には不法な武装グループに所属している人間の立候補を禁止しています。しかし多くの軍閥や「人道に対する罪」を疑われる人間が適性審査を通過して立候補しています。その象徴的な存在がアブドゥール・ラスール・サヤーフです。サヤーフは対ソゲリラグループの一つアフガニスタン解放イスラム連合を設立した人間で、ソ連撤退後の内戦時にカブールのハザラ系住民の集団殺戮を行ったと指弾されています。こういった人間が大手を振って立候補できる選挙だったのです。
最近ジャラリ内務大臣の辞任が大きなニュースとして取り上げられました。世情ではこの優秀な大臣の辞任の理由についてある見方が有力です。ジャラリは軍閥の解体にもっとも熱心だった人間でした。今回の選挙でも軍閥の立候補を強く批判していました。この問題をめぐってカルザイと対立し、辞任せざるを得なくなったというのが大方の見方です。軍閥が多数当選すれば、議会を根城にした軍閥が反軍閥政策の急先鋒だったジャラリを包囲することになる。とても内務大臣としての職務を遂行できない、という見切りをつけたと考えられているのです。
軍閥が国会に席を占めるということは、軍閥に私的な武力やアヘン流通などの不法な経済的な権益に加えて政治的な権力を公式に与えることになります。上述のアブドゥール・サヤーフなどはカルザイ支持に回っていることを考えると、軍閥の立候補がカルザイの国会対策と関係あるのではないかと疑ってしまうのは私だけではないでしょう。もしそうだとすると、アフガニスタンという国を再建する最終プロセスである国会選挙が、歴史を逆行するプロセスの出発点になってしまいます。投票率は53%と低い結果でしたが、アフガンの多くの人がタリバンやアルカイーダの襲撃の危険が高まる中で行われた選挙で、国会に国の将来を託そうとしたことも事実なのです。それを思うと、アフガンの人たちが政府と政治に失望し、再び過激な運動にとらわれていくのではないかと暗然とした危惧に陥ってしまうのです。
立候補者はすべて信用できないとして選挙に行かないことを公言していたJVC会計担当のアサドラが選挙に行っていました。行くべきか行かざるべきか3日3晩考え続け、ついに行くことに決めたといいます。彼は国会議員としてイスラムの教えに忠実なある大学教授に投票しました。彼は言います。「カルザイはアメリカの言いなりになっている。国会議員として一人でもイスラム教を守るために発言する人がいれば、少しは政府を牽制できると思った」と。