2006年、いわゆる「平成の大合併」で原町市・小高町・鹿島町の3市町村が合併して福島県南相馬市が生まれた。その境が、東日本大震災で起きた福島第一原子力発電所の事故後の避難区域分けと重なった。原発から半径20キロ県内で警戒区域となった小高区(旧相馬郡小高町)と原町区(旧原町市)の一部は、事故後1年近く帰宅することが許されなかった。その後区域が再編され、昨年4月からほとんどの地域が日中のみ帰宅できるようになった。しかし、インフラの整備や除染の遅れが今も本格的な帰還を阻んでいる。
除染作業で出たごみの集積場所となる仮置き場の候補地が周辺住民の反対で決まらなかったことが、遅れの主原因。現場は仮置き場を大規模1ヶ所ではなく地域割りで複数箇所にすることで設置に向け準備が進められている。
除染が進めば帰還への準備も加速すると思いがちだが、どうもそう単純な話ではないらしい。人によっては自分たちが暮らす地域の除染を歓迎しない声もあるという。関係者の話では、昨年7月に政府が避難区域にある不動産の賠償基準を発表し、『事故から6年以上帰宅できない避難者の住宅や土地は全額賠償する』としたことが、そういった"空気"を作り出してしまっているという。
これまでいくらかの賠償金を受け取っているとはいえ、仕事を失い不便な避難生活を強いられ、そのうえ借金をして家を修繕するとなれば、そういった思いに駆られるのもわかる。お金が絡むと、これからの暮らしの再建に何を優先させたらいいのかの判断が揺らぐのはありがちなことだ。だが、同じ市内でも賠償の対象とならない20キロ以遠の地域の人々の目には「身勝手」と映る。除染も賠償も、距離だけでなく心理的にも遠い"中央"で決めていることが人びとの間に歪みを津久井、再生する力を萎えさせている。
仮設住宅に暮らす人びとの言葉を思い出す。「賠償金は個人でなく行政区単位などに出して、コミュニティの再建計画を練り上げる中でインフラや家屋の修復も除染の話もみんなで考えてけ行けばいい。」
そこでできないことをや市や県、国が手助けすれば、苦悩する中で生まれ変わる日本の地域を見ることができたかもしれない。標準化を前提とする政策・制度のに期待するのは難しいかもしれないが、せめて避難者の声に耳を傾けてほしいと、南相馬に通っている者として思う。
本稿は雑誌『オルタ』2013年5月号に掲載された記事を再編集したものです。記載されている状況や情報は、現在と事なる場合がございます。ご了承ください。