鹿島区で再開した、特別養護老人ホームの取材をしました。
この特養を運営する南相馬福祉会は、市内各区に特養3つのほか、グループホームなどを運営しています。大震災の直後、同会が運営する「入所施設」には、約230人がいました。原発事故により、全員の避難先を探すのが大変だったようです。普段でも、高齢者の入所施設は全国的に満員です。思いあぐねた職員の一人が、ツイッターで窮状を訴え、それをきっかけに、テレビに電話出演しました。テレビを見た横浜市の医療法人が受け入れてくれることになり、3月19日にパトカーの先導で、大型観光バス5台で、9時間かけて、避難したそうです。横浜ではロビーで寝た方もいたようです。最近の入所施設は、寝たきりに近い人か、認知症の人ばかりですから、さぞかし大変だったことでしょう。
この時期、職員たちはお年寄りの精神の強さを感じたといいます。平均年齢は80代の中ごろ、先の戦争の体験者です。食が細い人も「食べられるときに食べておこう」と、食欲が旺盛になったとか。また、「大丈夫だよ」と動揺する職員を励ます人もいたそうです。
横浜から、遠くは大阪府など十の都府県の施設に、二次、三次避難しました。環境の大きな変化は、やはり、高齢者の負担になり、約1割が亡くなったということです。
協力病院の機能も回復し、10日に再オープンし、三々五々、遠路を介護タクシーで帰ってきている状態です。
計画的避難区域の西隣の飯舘村の特養は、例外的措置として、継続が認められましたが、放射能量5分の1以下の南相馬市原町区の特養の再開は認められていません。利用者の移送などに、経費もかかるわけですが、助成もあるかどうか、はっきりしていないそうです。