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【1】5月12日:南相馬という町

震災支援担当 楢崎 知行
2011年5月18日 更新
堤防を超えて流れ込んだテトラポット堤防を超えて流れ込んだテトラポット

東日本大震災後に、福島県南相馬市に新たに開設された災害FM放送局の支援を通じて、復旧・復興や市民の非常時対応のお手伝いをしようと、活動を始めた楢崎知行と申します。被災地や活動の様子を少しずつお伝えしたいと思います。

平地に乗り込んだ漁船平地に乗り込んだ漁船

まずは、南相馬市の紹介です。南相馬市は、事故を起こした福島第一原子力発電所の北、「警戒区域」(20キロ以内)、「計画的避難区域」(20キロ-30キロ圏)、「緊急時避難準備区域」(30キロ圏内の前2地域以外)、それ以外の地域をまたいで広がっています。南相馬市は旧小高町、旧原町市、旧鹿島町が合併してできた市ですが、ほぼ旧行政区ごと、上の3つの地域に分断されました。南相馬といえば、放射能が注目されますが、実は津波による死者・行方不明者も約750人と福島県では最大です。

海に近い津波の被災地は、自衛隊などの作業で、大きな瓦礫(がれき)は整理されていましたが、建造物がなにもない平らな土地は、礫沙漠(れきさばく)のようです。堤防を打ち壊して流れ込んだ波消しの巨大なテトラポットや平地に座礁した漁船は、古い時代の遺跡に、折れて倒れた高圧電線の塔は枯れた巨木に見えてきます。テレビや写真で何度も見た光景ですが、そのなかに身を置くと、ひしひしと現実感が迫ります。ひとつの被災地を過ぎ、ちいさな峠を越えて次の浜に着くと、そこも被災地。これが青森県から福島県まで約300キロも続いていると思うと、今回の被害の大きさに圧倒されます。