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【2】5月13日:7万人の市民は

震災支援担当 楢崎 知行
2011年5月18日 更新

南相馬市の紹介の後編です。

原発から20キロで封鎖される道路原発から20キロで封鎖される道路

大震災の翌日の12日、原子力発電所の事故の深刻さが判明し、20キロ圏に入った相馬市南部・小高区(住民約1万人)に避難指示が出ました。15日には30キロ圏にある、南相馬市の中心地域・原町区(同5万人)にも屋内退避が指示されました。多くの人が自主避難したほか、南相馬市も約5,000人をバスなどで市外に避難させました。その結果、7万人の人口のうち、4万人はいったん市外に出たのではないかと言われています。この時点で、物資の供給網は分断され、ほとんどの商店が閉まり、残った市民は食料にも事欠くありさまでした。市報を印刷する印刷所すらありませんでした。4月の下旬に屋内退避地区から緊急時避難区域に変更され、徐々に市民が帰り始めました。それでも、商店の半分以上は閉じたままで、開いている食堂は調理人や従業員が少なく、限定メニューでしのいでいます。私が行く食堂も揚げ物中心で、出てくるまで時間がかかります。

小高区、原町区の小学、中学校はすべて閉鎖され、北部の鹿島区の学校へ通っていますが、数は半分以下に減っています。子どものいる家庭は、自主避難を選んだ人が多いようです。5月中旬になっても、約600ヵ所の避難所や各地の公営住宅、親戚・知人の家などに、約3万人が避難していると言われています。

このように、わずか7万人の市民が四分五裂され、しかもその状態が長引くことが予想されます。このようななか、FM放送は市民への決め細やかな情報の伝達だけでなく、インターネットを使って市外に住む人にも「放送」することで、市内外の市民のコミュニティ、アイデンティティの維持に役立つ可能性を持っています。深刻な状況、遅れる支援の手、大きな可能性...、これらの理由でJVCは南相馬でFM放送局の支援をすることにしました。