来年3月には2003年のイラク戦争開戦から10年になります。開戦に至る経緯はまだ十分に検証されていると言えませんが、米英が国連による大量破壊兵器の査察を途中で切り上げさせて、3月中の開戦を急いだ背景にひとつに、4月以降になると砂嵐の季節がやって来て、軍事作戦が困難になると言う理由も挙げられたと聞いています。
その「砂嵐」ですが、大規模なものが起きると空港は閉鎖するし、市民生活は麻痺し、呼吸器系の急性疾患で病院に駆け込む市民が増える、などなど大変なものです。5月のこの季節にこうたびたび砂嵐があるのは、近年にないことだと、現在私が滞在中の北イラク、スレイマニヤの現地NGOのスタッフも言いますが、確かに、ここ2週間のうち、3日以上連続で晴れたことがありません。
しかし、この程度はまだ序の口、5月23-24日にイラクの首都バグダードで開かれたイランの核開発を巡る国際協議を前に、前日の22日にはバグダードは砂嵐に見舞われ、国際空港は閉鎖されるは、市民は病院に駆け込むはで大変だったようです。
The day Baghdad turned orange: Enormous sandstorm brings city to a standstill 「バグダードがオレンジ色に変わった日:激しい砂嵐により市内は立ち往生」 (英国Daily Mail紙オンライン記事、原文英語)
ここまで激しいと、外出して車の運転をするのも危なくなり、外に出られないと言います。私自身はイラクではこれほどの砂嵐の経験はバグダードで1度だけですが、ヨルダン滞在中にアンマンから隣国シリアの首都ダマスカスにタクシーで移動中に、ヨルダン北部で砂嵐に遭遇したことがあり、自分の方は大丈夫でしたが、反対車線でいくつも自動車の玉突き事故を目撃した記憶があります。
22日の砂嵐はイラク各地に及んだようで、JVCの活動地のキルク-クでも大変だった様子が
写真付きで報道されています。100人前後が呼吸器疾患で病院に運ばれたとあります。
Photo: Dust storm covers Kirkuk「写真:砂塵嵐がキルクークを覆った」(Kirkuk Now英文サイト)
さらに、当日どうだったか、そのキルクークの人びとに聞いてみました。中には表現が詩的な方もいらっしゃいます。
■NGOスタッフ 40代 女性
「もともとアレルギー症なのでもう大変。7人の家族はみんなでお医者さんのようなマスクをして、
全てのドアというドア、窓という窓を閉め切って1日中家に閉じ籠もっていました。」
■NGO代表 40代 男性
「毎夏にはイラク全体が砂漠に置かれた小さなテントのような状態になる。どこからでも砂が入り込んでくる。始末に負えない。それが例年のことだったが、近年は余計に激しいように思う。」
■小学校教諭 40代 女性
「子どもたちは期末試験を終えていたから、学校が休みになっても大丈夫だったけれど、家に居て
カーテンを閉めていたら、日の光が遮られて陰が忍び寄ってくるように見えた。この世の終わりかと
思った。」
ちなみに23-24日にバグダードで開かれたイランの核開発を巡る国際協議は結論に至らず継続審議になった様子ですが、イラクの将来も「視界不良」とならないことを願うばかりです。