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ヨルダンからシリア情勢を見つめる

イラク事業担当 原 文次郎
2011年7月 5日 更新

今回は6月5日からイラクの隣国のヨルダンに滞在中である。昨年の大晦日に成田に到着して新年からずっと日本滞在が続いていたが、3月11日に東京事務所でイラク事業についての打ち合わせの最中に地震に見舞われ、その後、福島県や宮城県の被災地にも足を運んでいた。そのため、実に5ヶ月ぶりの中東滞在となった。

 

「アラブの春」とシリア情勢

一方で中東はこの間にチュニジアやエジプトをはじめとする「アラブの春」と呼ばれる民主化運動の波に揺られていた。湾岸のカタールを経由してヨルダンのアンマンに到着したその途上でも、シリアで民主化運動に対する武力弾圧で13歳の少年が殺害されたとする報道を目にしていた。

シリアはヨルダンの北隣の国であり、私もこれまでにヨルダンの滞在ビザ延長の関係でたびたび訪れていた国である。ヨルダンの首都アンマンとシリアの首都ダマスカスを結ぶ乗り合いタクシーは国境通過にかかる1時間を含めても3時間半程度で着くことができる距離だ。

そして、今回、シリアの民主化運動の起点となったのが、シリア南部でヨルダンの国境に隣接する地方都市のダラアである。ダラアはヨルダンとシリアを結ぶ幹線道路からは離れているが、この2国間を結ぶ乗り合いタクシーの運転手がダラアの出身であったり、この街に親族が住んでいることが多く、何かとタクシーも道を外れて立ち寄る街で、私も何度かついでに連れて行かれた経験がある。(タクシーが乗客を乗せたまま自分の用事を済ませることはこちらでは良くあること。)

国境の町、ダラア

また、ダラアは、ヨルダン側の町ラムサへ通じる小さな国境ルートの町でもある。普段はメインのルートを通って国境はさっさと後にしてしまうのだが、地方都市の風景も味わうことができ、南部シリアにある世界遺産にも認定されている遺跡で有名なボスラに足を向ける起点としての便が良かったので、昨年、このラムサ=ダラアルートでヨルダンからシリアに向かったことがある。

ラムサからシリア国境に向かう道路(2010年8月撮影)ラムサからシリア国境に向かう道路(2010年8月撮影)

私がダアラを訪問した日はイスラーム教の休日である金曜日であったためか、街中は閑散としていた。しかし、乗り継ぎのバスターミナルはそこそこ賑わっていた。どちらかと言えば乾燥した砂漠地帯の印象のあるヨルダン側に比べて、シリア側は水利設備がある程度整えられていて、農業地帯という印象がある。そんな田舎町のたたずまいが魅力的な街であったが、それはどうも旅行者の感傷に過ぎず、地方都市として経済的にはなかなか厳しいところであったようだ。そして、そうした住民の不満が、民主化運動を求める発火点の要因の一つであるようだ。

ダラア市内(2010年8月撮影)ダラア市内(2010年8月撮影)

ダラア市内(2010年8月撮影)ダラア市内(2010年8月撮影)

ダアラは、今年3月に民衆が蜂起したが、当局による武力弾圧で多くの死傷者を出した。そして、ダラア=ラムサ国境も4月から6月の中旬に至るまで閉鎖されていたと聞く。私がヨルダンに到着してからのシリアの問題は、もっぱらトルコ国境に近い北部の都市に対する武力弾圧と、その結果としてトルコ側に流出した大量の避難民についてであるが、ダアラでも深刻な状況があったことは間違いがない。

【参照資料】

(1) 6月26日付けトルコ紙の報道によると、トルコに越境したシリアからの避難民は11,000人を超える。 http://www.todayszaman.com/mobile_detailn.action?newsId=248539

(2) シリア国内での人道支援関係者の自由な活動は認められておらず、6月10日には、紛争の犠牲者に対する即時無条件のアクセスを認めるようにとの声明を赤十字国際委員会も出している。

http://www.icrc.org/eng/resources/documents/news-release/2011/syria-news-2011-06-10.htm

情報も限られる中で

ヨルダン側からシリア情勢を見つめていると、私たち人道支援NGOが現場でできることは少なく、隔靴掻痒の感がある。外国の報道機関の自由な活動も認められていないため、シリア国内での運動の実態と当局の対応についての情報も乏しい状態である。

国際社会はシリア当局の国内での「武力弾圧」に対して非難の声明を発し、制裁を強化しているが、リビアのような国内市民の保護を名目にした武力攻撃は行っていない。国際的には武力による紛争解決の方法が取られていないことは幸いであるが、シリアの市民がこれ以上傷つくことがない状態で、しかも市民の意向が反映された状態で事態が解決して欲しいと願う。

シリアのこれから

こうした中、6月18日に情報収集も兼ねて、ヨルダン北部でシリア国境に近いイルビッド市を訪問した。そこで、地元に住むイサームさん(仮名)に話を聞いたところ、こう言っていた。「イルビッドなどヨルダン北部では昔から国境を越えてヨルダン人とシリア人同士が結婚している例も少なくない。私の親戚でシリア人と結婚していた家族も、最近になってシリアのダマスカスからイルビッドに身を寄せてきた。今のところダマスカスはまだ静かだ。南部のダラアでは毎週のように金曜礼拝の後に抗議デモが開かれていて、それに対する弾圧もあるようだが、今はヨルダン側に難民として出て来る人々は少ない。何らかの形でヨルダンに身寄りがある人々が多いので、ヨルダン側の親戚が世話をすることで間に合っている。国際的な支援が必要な状態ではない。」

イルビッド市内のバスターミナルにて。シリア行きの乗り合いタクシーが客待ち。イルビッド市内のバスターミナルにて。シリア行きの乗り合いタクシーが客待ち。

また、シリアの大学を卒業したヨルダン人のカーリドさん(仮名)も、ヨルダンの首都アンマンでお会いした際にこう言っていた。「シリアがこれからどうなるかはわからない。大変なことは大変だ。内戦になる危険があると言う人もいるが、イラクの場合と異なり、一般市民が武器を手に取っている状況ではないので、私としては、多少の衝突があっても収まるところに収まって欲しいという思いだ。トルコに出ている難民などはもしかしたら支援が必要かもしれないが、外の私たちにできることは限られている。いずれにしても、シリアの将来はシリアの人々自身が決めることだ。」

このように現状について、シリアのこれからについて意見を聞いたところでは、今のところは、私たち国際NGOが関わる余地が少ないように感じる。しかし、この地域に関わる者として引き続き状況に目を向けて、必要な時には必要な支援ができるようにしておきたい。一時は150万人とも言われた数のイラク難民を受け入れたイラクの隣国シリアには、まだ多くのイラク難民も残っている。彼らの行く末も心配になる。(場合によっては彼らに危険が及ぶ恐れがあるため、3月以降、これらの人々への直接連絡は控えている。)