3月20日のイラク戦争8周年の3月20日に掲載を予定して文章を書き始めましたが、東北地方太平洋沖地震の被災者の模様が脳裏をかすめて、どうしても筆が動きませんでした。
個人的には東北地方は第二のふるさとのように思っている地域です。そこで苦しんでいる人々がいるその最中にイラクのことを書いて、どれほどのものになるのだろうかと、自問自答すればするほど、筆が進まなくなりました。遅筆の結果の乱文をお許しください。
3月11日14時46分、私たちが東京の事務所でイラク支援の話し合いをしている最中に、地震の大きな揺れに見舞われました。東京の私たちには大事ありませんでしたが、東北地方を中心に津波により莫大な数の犠牲者が発生しました。
それから1週間余りで3月20日を迎えました。イラク戦争が開始されて8年が経ったことになります。
バグダード、スレイマニヤ、バスラ…。日本の震災後、イラク各地から日本の私たちを心配するイラクの友人からのメッセージが届きました。
どのメッセージも、日本の震災被害者に思いを馳せ、戦争被害という人災と、自然災害という天災の違いはあっても、災禍に遭った者の思いは共にあること、そして、日本の復興を固く信じているというものでした。私たちはこのような暖かい思いのこもったメッセージに触れてみて、改めて、戦争被害を被ったイラクの人々の思いを日本の私たちの思いに重ね合わせることができました。
しかし、日本人の私たちは震災被害者になるまでは、戦争被害者のイラクの人々の思いがわかっていなかったということになりはしないでしょうか。先に触れたように戦争は人災です。本当は防ぐことができたはずです。そして、イラク戦争をいちはやく支持した当時の日本政府の政治判断に対して、8年が経った今でも検証が行われていないということは、私たちはまだ加害者の立場にいる責任から免れていないということでもあります。
「そう言えば3月20日だったっけ?記念日よりも今は治安がましになって来たので、生活をどうやって立て直すかの目の前の問題に忙しい。まだ政府には不正が横行しているので抗議デモも多く起きている」と電話口に出たバグダードのアフメドさんは言います。イラクの人々には、過去の3月20日を振り返るよりも今の3月20日をどう生きるかという方が問題です。
しかし、日本の私たちは戦争の当時者として、3月20日を忘れる訳にはいきません。同じ災禍の被害者として共感のメッセージを送ってくれたイラクの友人に報いるためにも。