3月27日から30日まで、イタリアのローマの南30Kmほどの街ヴァレトリにイラクの市民団体から46名、国際団体から36名余りが集い、イラク市民社会を支援する連帯会合(Iraqi Civil Society Solidarity Initiative)が開かれ、これに参加した。
会場は宿泊設備も完備した研修施設で日本で言えば軽井沢の別荘地の雰囲気。28日朝から始まった実質討議は2日半に渡り熱を帯びた。国際メンバーの参加はここからで、これを前にイラク人参加者のみの討議は既に26日から始まっていたので、イラク人参加者にとっては約5日間の長丁場。研修施設に缶詰状態での討議はイラク人参加者にはストレスになったようで、最後にはグアンタナモ(米軍の対テロ戦争被疑者の収容所)に収容されている気分だという笑えない冗談が出るほどだった。
この会合の参加者数名の声を拾ってみた。まだまだ様々な困難がある中でもイラクの中で市民社会が元気よく活動を始めている様子がうかがえた。
なお、イラク国内の治安状況を鑑み、以下の人物名はすべて仮名とすることをご理解下さい。
(1)女性団体代表のサイ―ダさん 56歳 バグダッド出身
「国際機関や国際NGOの支援を得て、女性の権利を保護し、困窮者への生活支援や職業訓練などを行う団体を主宰している。そうした団体の本業のプロジェクトも大変だけれども、今一番必要なのは医療支援だ。私たちの団体はイラク人による募金を集めてバグダッド市の内外の7カ所ほどの地区で巡回診療を実施している。学校の健康診断なども私たちがやっている。
保健局の手が届かない地域に対して、保健局との契約のもとボランティアで医師を派遣してもらって実施しているが予算が足りない。もっと手厚い医療をもっと多くの地域に施すためにも支援が欲しい。あんたは何を支援してくれるのかい」などと迫られ、その迫力には圧倒された。
(2)大学教授のムハンマドさん 60歳 バグダッド出身
バグダッド大学の政治学の教授をしているこの先生はいかにも学者風の風貌で、サイ―ダさんとは対照的に物静かに見える。しかし語り出すと熱くなる。

「今はバグダッド大学とアンバール大学で掛けもちで教えている。最近やっと治安が改善して落ち着きを見せているが、治安の悪い時期は学生も大学まで通って来ることもままならず大変だった。教える方の先生方も命を狙われるケースが少なくなかった。私自身は大丈夫だけれども、やはりまだ今のイラクの現実の政治の世界で対立がある中で、学問として政治を教えるのにもいろいろな介入があって大変だ」
(3)イラクの中では老舗のNGOの副代表のカーディムさん 60歳? バグダッド出身
1992年クルド地域で設立されたイラクのNGOで副代表を務めるカーディムさんは物腰は静かだが眼光は鋭い。その彼が本領を発揮したのは、会議のまとめを受けての3月31日のローマでの記者会見の場面だった。今のイラクの状況をどう思うか、特にスンニ派とシーア派の宗派対立はどうだったのかとの記者の質問に対し、まず一言、「私たちはイラク人だ」と言い放ち、眼光鋭く、しかし温和な表情は崩さないまま記者をしばらく見つめてその後に、「この会議の参加者はみな同じ意見だと思う、スンニ派もシーア派もキリスト教徒もその他の少数者もいずれもイラク人ということではひとつなのだという思いだ」と続けた。
実はこのカーディムさんは、自分は英語は苦手だと言って、会議の期間中は私が話しかけてもそっけなかった。会議には通訳ボランティアも同席していたのだが、どうも個人的な会話に通訳を通すことを嫌っていたようだ。
ようやくちゃんと話ができたのは帰りの飛行場でたまたま行き先が同じシリアであったので二人だけになった時で、とつとつとした英語で、対立を乗り越えるために若者の間に対話の機会を設けるプロジェクトをしていることを話してくれた。
シリアには数日滞在するとのことで、ヨルダンと同じくシリアがイラク人の入国に厳しい姿勢を取っていることを知っている私が「あなたのシリア入国には問題はないか?」と尋ねると、彼は微笑みながら「サッダーム政権時代にイラクを逃れて20数年間シリアで暮らしていたからシリアではもう居住権も持っている。問題ないよ」と答えてきた。イラクはひとつと言い、そのために融和のための活動をしている彼であるが、自身には複雑な背景があるようだ。
*この会議の8日後、イタリア中部のラクィラで大きな地震が起き、犠牲者が多数出たことが報道されています。この場をお借りして、犠牲者の方々のご冥福をお祈りします。