国内避難民は、2006年の2月から増えはじめ、今や150万人に達したと言われている。一方で、多国籍軍はアル‐カーイダ掃討は進んでいると発表してイラクにおける空爆や戦車からの爆撃、狙撃を繰り返している。難民の叔父は、早朝寒い日に頭を布で巻いて出かけたために、テロリストと間違えて多国籍軍に狙撃されたという。
今やバグダッドではごみ収集車が狙い撃ちの標的になるため、道にごみが積まれて衛生上も危険な状態だという。人々は息を潜めて暮らし、病院にいくこともままならない。政府の機能は麻痺し、日常生活は不衛生な状態が続いている。
こうした治安の悪化を避け、少しでも安全な地域に逃れようとして人々は新たに借家を借り、資金のない者は廃屋などに住みついているが、彼らに収入はない。これまでは、地元にいれば制裁時から続いていたイラク政府の食糧配給があった。しかし、マーリキー政権になってからというもの食糧配給は滞っている。毎月家族単位で米、小麦粉、油、砂糖、茶が支給されていたが来ない地域も依然として多い。
掃討作戦の対象になってきた北部地域は食料が届かない上に、中央政府からの医薬品や支援物資も届かなくなっていた。JVCが支援しているアンバールでは、2007年5月くらいからは比較的平穏な状態が続いていると言われている。しかし、北部では、報道されていないだけで毎日爆弾テロが炸裂している(キルクーク、Insan調べ)。
こうした中で日常生活の麻痺を狙った衛生施設の破壊の問題は深刻だ。この夏、8月だけでコレラ患者がクルド地域で500人を超えた。コレラは、水からの感染、接触による感染によって蔓延する可能性の高い危険な伝染病である。バグダッド及び南部バスラでも発生し、幼児の下痢や嘔吐は後を絶たない。水質汚染による皮膚病も地方・都市を問わず見られる現象だ。
こうした危機的な状態に対し、国際社会の対応は遅かった。「イラクの医学はアラブで一番だったし、病院も衛生的で技術も抜群だった。衛生管理だって万全だったし、水で困ったことなどなかった」というもと薬剤師は、「コレラは水が原因だったと思う。こんな状態は生まれて初めてだ。たくさんの人が一時に疫病で死ぬなんて、考えられなかった。」という。
イラク政府は手をこまねいて、この状態を放置している。新たに設置された内閣の保健大臣は誘拐されて行方不明といった状態の政府に、国際社会は援助を申し出てきた。しかし、政府相手の国連を通じた援助では対応が遅いだけでなく、いきわたらないのだ。国連は、この4年間イラクが危機にあることを認めてこなかったが、2007年からやっとUNOCHA (United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs:国連人道問題調整事務所)がイラクの人道危機を解決することに立ち上がった。しかし、国連はイラク国内に事務所もなく、状況を把握できていないため国内で活動するNGOに頼って支援体制を立て直そうとしている。
今やイラク国内で活動できる国際NGOが、中央政府ではなく地方政府と直接交渉し、或いは住民組織を利用して迅速な食料配布や衛生状況改善の支援を行っている。特に、NGOは政府を通じた支援の必要がなく小回りもきくため、これまでの支援の方法では行き渡らない人々に今やNGO主導で援助を届けている。
食糧支援も、もっとも必要とされている人々に届けるため、現地スタッフの安全を担保にしつつ危険をかいくぐっての努力が続く。イラク政府は機能が停滞し、国連の援助はこの政府を相手にしているために遅い。今、NGOも国際社会も、テロ続発だけでなく伝染病蔓延まで引き起こしている未曾有の危機において、その力を試されてもいる。