今年も8月19日を迎えた。
国連バグダッド事務所が爆破されたのが3年前のこの日になる。その後の更なる治安の悪化で、そんな記憶もまるで遠い昔のような思いがする。
現在も続いているガン・白血病の医療支援も爆破事件の後から本格的に始めたので、この8月でちょうど3年になる。
この間にイラク新政府が立ち上がり、保健行政がうまく回れば、病院も私たち外国のNGOからの支援に頼らずに済むのではないかという期待があった。
しかし、病院が支援を必要とする状況はまだ終わっていない、終わっていないどころかイラク国内の治安の悪化によって更に状況が悪化していると伝えて来る病院もある。
そうなると、緊急的な支援を続けるだけではなく、病院の実情を調べてそれらの状況を元に改善を求めるべく訴えるアドボカシー活動も私たちの役目として重要になって来る。
このために支援先の病院の実情を聞き取り調査しているところなのだが、治安情勢が一方で災いしてか、どうせ今の情勢では中央政府の省庁に物を言っても無駄と考える医師も居て、なかなか思ったように話が進められないところもある。
このような日々の一方でバグダッドの市民生活はどのようになっているかというとこんな様子だ。

この8月19−20日の土日はバグダッドは車両通行が全面的に禁止という厳戒態勢になった。

今回の厳戒態勢はシーア派の宗教行事に備えてのものだ。
シーア派の宗教行事でバグダッド市内のカズミヤ・モスクに向かう巡礼者が橋の上で将棋倒しとなり、1,000人もの人々が亡くなった「アエンマ橋の悲劇」が起きたのは昨年の8月31日のこと。
同じ宗教行事が開かれるのがイスラム暦の関係で今年は8月20日に当たる。
知人のA氏は、「この2日間は商店も閉まっているし事実上の外出禁止だ。
生活必需品を事前に買いだめしようとしたが、このところの石油価格の上昇で物価が軒並み上がっている上に、この2日間の需要を見越した便乗値上げもあってとても物は買えない。我慢大会だ。」と言う。
この彼も、専門学校を卒業した息子さんも仕事がない。収入源が無いところでどうやって生活しているのかと聞くと、「親戚同士での助け合いで、誰か仕事がある人が一人でもいれば、その人が頼りだ。お互いで借金のしまくりだ。生き延びればいつか返す機会もあるが、死んでしまえば借金の踏み倒しだ」と笑う。
イスラムの習慣で社会の中に相互扶助の考え方があるとは言うものの、しかしこれでは長続きしないだろうと心配になる。
8月20日が無事に過ぎて欲しいと願っていたが、今年は巡礼者を狙った襲撃事件が起きてしまった。
報道では20名の死亡(負傷者300名)と伝えられているが、イラク内務省は8名の死者(負傷者90名)、警察発表は4名の死者(負傷者23名)と少ない数値になっている。知人の話では7名と言うので、内務省の数字に近い。
彼に言わせれば死傷者は流れ弾に当たった人がほとんどで、報道が言うような宗派対立による襲撃というのは、宗派対立に見せかけたい連中の企てに乗せられた話だと言う。
事件の翌日にはスンニ派の部族長が襲撃はスンニ派によるものだという説を否定して、事件はシーア派の民兵組織が引き起こしたものだと発言。
国防大臣は聖廟に向かうシーア派の巡礼者がスンニ派の居住地域の傍を通る時に差し入れをもらうなど助け合っていたと発言。
内務大臣は事件はサダム信奉者のスンニ派の仕業だと発言するなど、それぞれが自説を主張して譲らない中で真相が闇の中に紛れて行く。
バグダッドの医師もこの20日は大変な日であったと言う。病院に近接する保健省の裏側に2発の迫撃砲が撃ち込まれ。またこれとは別に撃ち合いがあり、病院の玄関先も被弾してガラスが割れ、病室の中にも流れ弾が飛んで来たと言う。
入院患者に当たらず死傷者が出なかったことが不幸中の幸いだった。その日も帰りは50度から55度の灼熱の気温の中を徒歩で病院から帰宅したとのこと。
イラクでは今も日々生き延びることが戦いであることが実感される。