最近は少しずつ厳しい見方も出ていますが、基本的には、イラクの人々から見た日本の評判は、日本で私たちが想像する以上に素晴らしく良く、時としてこちらが気恥ずかしくなってしまうほどです。
その原因が、優秀な日本製品の評判であったり、過去の日本との取引や投資という、経済の分野での評判が元になっていることも多いのですが、イラクで良く耳にしたのが、第二次大戦後、平和国家の道を選んで、広島や長崎の原爆の被害から立ち直り、こうした優秀な製品を作ったり、経済投資ができるまでに目覚しく復興を遂げた国というイメージです。
戦争によって傷ついたイラクの人々が、自分たちの姿をかつての日本の姿と重ね合わせて、日本のように復興をしたいと憧れのまなざしで見ていることが多いのです。
ヒロシマやナガサキについて、学校の授業で習うということも良い影響を与えているのだと思われます。
アンマンにいる私のところに、広島原爆忌の8月6日に合わせて、バグダッド在住のイラク人のイフサン・アリ・スレイマンさんからメッセージがメールで届きました。

スレイマンさんは、電機関係の技術者として、かつて日本に滞在されたこともある方で、バグダッドでは高遠さんの活動の良き理解者で、支援者でもあります。人質事件の際には、解放に向けての働きかけに奔走していました。最近では7月に来日され、7月22日に東京での高遠さん、今井さんとの講演会に参加されています。
今も毎日の様に引き続く戦闘に傷つきながらも、それでも生き続ける。前向きなメッセージに、私たちも逆に励まされる思いがします。
8月6日
広島原爆忌の日に
原 文次郎
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Dear Hiroshima
This is Baghdad…your sister city
I am sending you this letter
While I am burning every day and every hour
I know you feel my pain more than others
Because you also saw your kids bodies burning in street
And you saw the killing of civilization
When you ask the killer
Always the reply is….
It is for human rights and peace
I am always asking
Why they remember human rights and peace when they want?
And they forget it when they want?
Dear Hiroshima my dear sister city
I will never die,
Because I have so many good friends coming from you
Treat my injure
And give me love
Dear Hiroshima
On 6th of August 1945
All of was killed
But we never died
Because life is our right
And we must continue
Regards
Baghdad
(日本語翻訳:原 文次郎)
親愛なるヒロシマへ
わたしはバグダッド...あなたの姉妹。
わたしは毎日、毎時のようにこの身を焼かれつつ、
この手紙を送っています。
私はあなたが私の痛みを誰よりもわかってくれることを
知っています。
なぜなら、あなたもあなたの子どもたちの体が道ばたで
焼けるのを(わたしと同じく)見てきたから。
そして文明の殺されるさまを見てきたから。
(文明の)殺害者に尋ねても、
いつも答えは...
答えは、人権や平和のためだと言う。
それでわたしはいつも尋ねる。
なぜ彼らは自分に都合の良いときに人権や平和を想い出し、
都合の良いときに人権や平和を忘れるのか。
親愛なるヒロシマ、わたしの姉妹。
わたしは決して死なない。
なぜなら、これほど多くの良き友人たちが
あなたのところから来て、
わたしの傷を癒し、わたしに愛をくれるから。
親愛なるヒロシマへ
1945年8月6日に
全ての者は殺害に遭った
けれどもわたしたちは死なない。
なぜなら、生命(いのち)はわたしたちの権利。
そして、わたしたちは生き続けなくてはならないのだから。
敬具
バグダッド
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