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16年の時を越えて再開したモスルの春祭り

イラク事業担当 Ghamra Rifai(ガムラ・リファイ)
2018年7月31日 更新

モスルの春祭りは1969年4月10日に初めて開催され、9日間にわたって続きました。 盛大なパレードでは、汎アラブ主義を掲げるバース党政権の山車のほか、バビロン時代やイスラム黄金時代などイラクの歴史を紹介するたくさんの山車が町を練り歩きました。それらの中には、エルサレムのアル=アクサ―・モスクや聖墳墓教会のものもありました。祭りには、パレードだけでなく、アートパフォーマンスや詩の朗読、モスルの花の展示などもあり、観光の目玉にもなりました。

モスルの春祭りでのフォークダンス<br />(Wikipedia:Eng Hazim Yahya より)モスルの春祭りでのフォークダンス(Wikipedia:Eng Hazim Yahya より)

初めて開催されてから34年間、祭りは湾岸戦争中も含めて毎年行われましたが、2003年のアメリカのイラク侵攻による治安悪化により中断されました。

春祭りは、アッシリアの人々が首都ニネヴェで毎年12日間にわたって春の到来を祝った古代の習慣の復活であると考える人もいます。一方、それは無垢な春の祝いではなく、バース党政権が議案を通し、人々を支配下に置き、自分たちの主張を誇示するために使った文化的ツールであったと考える人もいます。しかし、モスル、そしてイラクの人々が彼らの文化、歴史、そしてその多様性を祝うことを止めることはできません。2014年、モスルは「IS」の手に落ちました。町の人々は信じがたいほどの抑圧に苦しみ、何千人もの人々が「IS」の恐怖から逃れるために別の町や海外に避難することを余儀なくされました。モスルを「IS」から解放するために第二次世界大戦以降最大と言われる市街戦が行われ、町の大部分が破壊されました。帰還した避難民たちがイラク第二の都市の瓦礫の下に見いだしたものは、死体に埋もれた彼らの思い出と所有物でした。

町は荒廃し、再建には多くの時間とお金、そして労力がかかることが予想されます。しかし、町の荒廃を受けてモスルの人々はそれまでにも増して町と伝統を復活させることを心に決めました。2018年5月8日、アメリカのイラク侵攻以来16年の時を経て、傷ついた都市は春の祭りを再開し、全国から集まった人々が盛大な祭りに参加しました。

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パレードでは、傾いたミナレットで有名な大ヌーリー・モスクなど、「IS」によって完全に破壊された歴史的場所を再現した38の山車が町を練り歩きました。モスル大学の学生もパレードに参加し、アッシリアの守護神ラマッスー(人間の頭、牛の胴体、鳥の羽を持つ)やそのほかのアッシリアのシンボルの山車を提供しました。大学の卒業生たちも大学の旗を持って行進しました。

イラク中からたくさんの人が集まり、祭りを祝い、モスルの人々を支える意思を示しました。モスル市民とイラクの人々は春祭りが復活したことをとても喜んでいます。祭りはこの古い都の新たな始まりであり、多くのことを経験したこの町に生きる人々の生きる喜びと力を現すものなのです。

和訳:英語ボランティアチーム 杉下はる