この連載ではこれまで、プロサバンナ事業をミクロな視点、すなわちその実施の現場において何が行われているかを中心に批判してきた。住民や農民にとって、それがどういう意味を持つかが援助の基本だからである。今回は、逆にマクロな視点からプロサバンナを鳥瞰して、その全体像から見えてくる問題点を指摘してみたい。
日本国益のための援助
これまでアジア一辺倒だった日本のODAも、TICADなどに見られるように今では「アフリカ開発」をODAの柱のひとつに位置付けている。外務省がモザンビーク国をどのように認識し、その中でJICAはプロサバンナを含めてどのような開発を目指しているのかを、彼らが発した政策文書や発言をもとに探ってみる。
ODAの政策文書のひとつに国別援助方針がある。そこでは、「同国は、...資源が豊富であり、...農業開発の余地も大きく、...人口の大多数が農業に従事しているが、その大部分は生産性の低い零細な生産活動にとどまり、...企業活動は未発達である」とされており、「回廊と周辺地域を結ぶ道路・橋梁改修やナカラ港の整備・電力等のインフラ整備を支援するとともに、...(プロサバンナ事業)により、農業開発支援に積極的に取り組み、包括的な回廊開発支援を行う」とある。
要するに、外務省は古典的な近代化の視点から同国を「途上国」と認識しており、生産性を高め、インフラ整備し、輸出振興して国の経済を大きくするためには企業活動の発達が不可欠、という考え方だ。プロサバンナもここに位置付けられている。そして、その包括的な青写真が「ナカラ回廊開発計画マスタープラン」である。筆者が委員をしている「開発協力適正会議」で同地域の電力配電網計画を検討した時、外務省幹部から次のような発言があった。
「日本企業のビジネス環境整備のためのインフラ整備という観点から、日本企業の関心が高い地域・分野を対象に、案件の形成を目的に戦略的マスタープランの策定を進めている。」(第19回2014年12月16日)
この会議は、国益論者の委員が多いこともあって、それに誘引されて外務省もJICAも本音を語ることが多い。他国に負けずに日本企業にいかに受注させるか。ODAの評価も、そこを中心に論じられる。別の会合でも、外務省はインドにおける高速鉄道(新幹線)事業獲得競争で中国に勝ったことに熱弁をふるっていた。
「質の高い成長」の結果とは?
新ODA大綱の「質の高い成長」という言い方に表されているように、貧困削減や脆弱性といった課題からの脱却、持続可能性などは「成長」の結果であり、あたかも成長すればそれらが達成されると言わんばかりである。しかし、筆者は外務省が唱えるこのロジックそのものに危うさを覚える。誤解しないでいただきたいのは、この場で開発経済学で議論するように成長と貧困のつながりの妥当性を論理的に論じたいわけではない。むしろ、そうした課題は経済学とは違う次元にある「価値」を問うものであるということだ。倫理性と言ってもいい。倫理性とは、特定の地域やコミュニティ、あるいは国家という社会の枠組みにおいて、政治や自然環境、経済などが複合的を関係したところから生まれてくる価値観である。経済は社会の一部であって、経済が社会をつくるのではない。
昨年、ミレニアム開発目標が達成年を迎え、持続可能な開発目標(SDGs)が新たに策定された。装いは変わったが、格差や脆弱性、環境破壊といった課題への対応を優先すべき価値としており、その下で経済をいかにコントロールするかに成否がかかっている。SDGsは、その価値の重要性を広く国際社会に浸透させるために「共通目標」としてつくられたのである。
改めて外務省の政策文書を読んでも、このような発想はまったく見られない。JICAも同じである。日本のODAは、高い倫理観の下でつくられたものではないからだ。ただ、対象とする国の貧困や環境破壊は無視できない。これらの課題を経済と結びつける言葉が必要になり、導き出されたのが「質の高い成長」という言葉に他ならない。耳障りの良い言葉(タテマエ)で本意(ホンネ)を覆い隠すことを日本は得意 とする。「理想では飯を食えない」と考える国民が多くなった昨今、「アフリカ開発」で資源確保や企業進出を進めようとしていることは確実であろう。プロサバンナが提起しているのは、このマクロで思想的レベルでの問題でもある。