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ODA ウォッチ: プロサバンナ事業 第12回

支援の「結果」と「成果」の違い

南アフリカ事業担当 渡辺 直子
2015年11月26日 更新
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7月にモザンビーク最大の小農組織UNACのメンバーが来日し、8月は3週間強に渡る現地調査を実施した。9月にはモザンビークより元農業副大臣・現プロサバンナ担当一行が来日し、意見交換の場を持つなどしたが、今回は調査中の出 来事から「事業の成果」について考えてみたい。

「役に立つ」支援への不満?

乾期だというのに、目の前に広がる緑あふれる見事な畑。モザンビークで訪ねた農民組織の共同畑だ。5ヘクタールの畑の真ん中に貯水池があり、水路が畑中に張り巡らされている。数年前に農民らが手で掘ったという。土曜日の朝 早くなのに、すでに男女合わせて10人を超えるメンバーが熱心に作業をし、小さな子どもたちも遊びながら手伝っている。

昨年この農民組織にプロサバンナ事業より電動水ポンプが貸与され、種が提供された。今年4月の調査で、この組織のリーダーに話を聞いた際、事前の合意にもかかわらず、自分たちが希望していたものとは違う種が遅れて配られ、満足いく生産ができず、水ポンプ代が返せない可能性があるとの不満と不安を話していた。

今回はその後の話を聞いた。今年の種は、担当官と交渉し、自分たちが店で購入したために問題はなかったという。また、電動水ポンプには、一定の速度で早く水を畑に廻せる利点がある(「それで生産性があがったか?」との問いに回答はなかったが)。要は「それなりに役に立っている」とのことだった。だが、農民らが強調したのは、次の一言だった。「プロサバンナは私たちの話をまったく聞かない」

成果を「出してくれている」現実

一体どういうことなのか。混乱しつつも、畑を案内してもらった。道中、生産状況や種、販売先、メンバーのことなど、たくさんの話を聞かせてくれた。3時間後、立ち去る段になって、本音が口にされた。「プロサバンナは私たちを人として尊重していない」

自分たちにはこれまでしっかりとした農業の経験があり、 ヴィジョンもある。生産量をさらに上げたいが、化学肥料は土を傷めるから有機肥料を試すのに養鶏をやりたい。鶏糞は有機肥料として使え、鶏は家で食べるか、町にも近いから販売もできる。しかし、プロサバンナ担当者は「養鶏は君たちには無理だ」と言い、電動水ポンプと希望と異なる種が遅れて貸与された。

我々NGOが現地で活動する際、最も苦労するのが、人びとが本音のところで何を考えているのかを知り、彼らを取り巻く現実や事実をつかむことである。いくら人びとに近い立場で地域に入るとしても、出会った時点で「支援する側/される側」というある種の上下関係が出来上がっている。だから、相手はこちらが喜びそうなことしか言わない。これに気づき、乗り越えるための努力をしなければ、結局活動は続かず、失敗する。たとえそうした関係性のままで活動がうまくいったとしても、それは相手がこちらに合わせる努力をし「成果を出してくれている」からであって、効果的な事業を行ったこ とによる「成果」ではないのだ。

今回のケースがまさにそうだった。事業は「それなりに」役に立っているが、なくても困るわけではない。むしろ事業が来たことで「見下されている」という不快感が残された。別州の農民組織では、希望していなかった「製粉機」が押し付けられた。機会は数ヵ月間使われずに放置され、組織内が分裂し、製粉機を返すとの結論を出したことも、今回の調査で分かった。

信頼関係の不在がもたらす結果は

一方的に「あなたのため」と押し付け、「決めるのはあげる側だ」という態度は、むしろ相手の尊厳を傷つけ、信頼を壊す。「援助」や「支援」というフィルターを通すと、人と人が接するときに大切なこんな簡単なことが見えなくなる。

そして、このような信頼構築の失敗により、私たちの税金が必要以上に使われてしまっている。マスタープラン策定は2013年9月に終了予定だったが、「市民社会との丁寧な対話」を名目に延長され続け、4・5億円以上が追加 で投じられている(外務省情報)。しかし、この間、逆に信頼構築は遠のき「対話」すら成立していない状態にある。

たかが対話、されど対話。このまま事業を進めたところで、出てくるのは単なる「結果」であって「成果」でも「成功」でもないと思えてならない。

No.318 アジアにおける外部環境の変化のなかでJVCは何ができるか (2015年10月20日発行) に掲載】