小学校時代はシンガポールで過ごしました。年中真夏、赤道直下の多民族国家。日本のお正月が過ぎればすぐ中国のお正月が始まり、毎日イスラムモスクで礼拝する人もいれば、体中に針を刺した人の行進(タイプーサムというヒンドゥー教のお祭り)が始まる日もあり。毎日真っ黒に日焼けし、誰が一番黒いかを競い合う、そんな日々でした。
何気なく母に言った事があります。「シンガポールには外国の人が沢山いるね」。それに対して母が一言、「何言ってるの、あなたもここでは"外国の人"でしょ」。
当時の私と言えば、"日本人"は どこに行っても"日本人"で、それ以外の人が"外国人"。なのにどうして"日本人"である私が"外国人"になるのか?母の言うことがまったく理解できず、数日かけて説明してもらい、ようやく「日本や日本人を主体にして考えるのではなく、その土地や人を主体にして考えること」そして「私は日本人であり、外国人でもあること」を理解したのです。
子どもながらに「世界は広いのに、自分は随分狭い考え方で過ごしていたんだなあ」と感じたのを覚えています。 国内、国外と転勤の多い幼少期でしたが、毎日多様な文化に触れ、母の教えである「その土地ならではのことを楽しむ」をモットーに過ごしたあの日々が、「世界と広くつながる仕事がしたい」と JVCに飛び込んだ、今の私に影響しているのかも。 そんなことを感じる今日この頃なのでした。