「スマートフォン(スマホ)」を買ってみた。携帯電話にパソコンの機能を付加したようなもので、通話だけでなくネットが見れたりできる。あまりに流行っているので「俺は持つまい」と意地を張っていたけれど、使ってみるとこりゃ便利。すばやく簡単に情報を得ることができる。
先日の仙台出張の際、最終の新幹線に乗り遅れてしまった。ホテルを探さなければいけないが、土地勘も無いし観光案内所も閉まっている。そこでスマホだ。「ホテル」「仙台」と話しかけると、自分の周囲のホテルを値段とレビューつきで表示して、GPS で道案内までしてくれた。おかげで、安くて駅から近いホテルを見つけることができた。
僕の世代(84年生まれ)は小さい頃からネットに親しんできた。けれど、僕の親父の世代(ちなみに43年生まれ)だとそうはいかない。正座でキーボードを人差し指で押しているものだから、まるで将棋を指してるみたい。ネットを駆使して情 報を得ることができない人も多いだろう。しかし、情報の量がそのまま知性に直結しているわけではない。知り合いの元編集者Yさん(90歳)はネットが使えない。けれど、会うたびに彼の知性に僕はうなってしまう。読書で培った深い知性の引き出しから様々な例を出し、時事問題も歴史的な観点から判断できる。得た情報を咀 嚼し、知性として蓄えているのだ。
僕たちはスマホで星の数より多い情報にアクセスできるけれど、情報の量と質はイコールではないし、それに頼りすぎると足をすくわれることもある。だって、そのホテルはとても汚くて臭かったんだもの。