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【no.291 特集-2】 福島にどう関わるか、関われるか

JVC代表理事 谷山 博史
2011年12月16日 更新

混乱・避難・分断

「避難車のヘッドライトが流れをり 今夜はいづこに辿りつくのか」
(南相馬 根本定子 ※歌集『あんだんて』より。)

今回の原発事故直後の避難の様子をうたった歌である。震災後の一週間、報道では三陸沿岸の津波被害のすさまじさや原発事故に対する政府の対応ばかりに焦点が当たっており、福島で何が起こっているのかの情報は不足していた。しかしこの歌にあるように、福島第一原発の近隣自治体は大混乱で避難者の列が延々と続いていた。逃げるのか逃げないのかで家族の意見が対立し、父母を置いて逃げざるをない人々も多かった。時間がたち放射能の飛散状況がわかってくるにつれて、この事故の深刻さが現れてきた。

「福島チーム」を設置

JVCは震災のあと一週間を自宅待機とした。自宅待機を終えた直後の三月二十二日に開かれたスタッフ会議での議論が、JVCの福島への関与を決定づけた。スタッフの一人から「なぜ福島に行かないのか」という意見があがったのを皮切りに、福島支援の行動を起こすべきとの意見が続出した。「今回の災害は地震、津波、原発事故の複合災害だ。エネルギーの観点からも、もっとも取り残されていく人々という観点からも福島に関わらないのはおかしい」、「原発産業の構造は私たちの豊かな生活が途上国の人々の犠牲の上に成り立っているという構造に直結している。海外のことと国内のことを重ね合わせて訴えていかなければならない」、「農民が農業ができなくなる可能性がある。避難先を提供したり土地を提供したりできないか考えたい」、「私たちの生活の見直しと支援を結びつけた中長期的取り組みが必要だ」。

これらの発言には、JVCが長期目標で掲げる「地球環境を守る新しい生き方を広め、対等・公正な人間関係を創りだす」という理念が反映している。この議論を受けて、JVC内に原発事故の被災者支援を検討する「福島チーム(代表谷山以下スタッフ+インターンの計8名、通常業務との兼任として構成。)」が設置された。

放射能という壁

福島チームは支援活動調査のための情報収集を始めた。様々な知己を通じ集めた情報から、支援のターゲットは農家や南相馬の人たちに絞られていった。しかしここで問題が生じた。福島での支援活動も、そのための現地調査もスタッフの放射能被 爆のリスクが伴う。

放射能は目に見えず、空間線量を測ったとしてもどこまでならば安全だという閾値(しきいち)もない。またリスクに対する考え方は人それぞれに異なる。福島チーム内でも同じ線量に対して危ないと見る人と、そのくらいのリスクは活動する以上しかたがないという人で意見が分かれた。共通の基準を作らなければ調査にも行けず、その先の活動を想定することすらできない。まず暫定的(ざんていてき)な「行動基準」を四月一日に作成し、その後必要に応じて改定していくことにした(その後七月二十二日に改定)。

南相馬市、災害FM局

ミーティング中の「みなみそうまさいがいFM」。時に意見をぶつけあいながら放送内容を決めている。ミーティング中の「みなみそうまさいがいFM」。時に意見をぶつけあいながら放送内容を決めている。

南相馬市は、津波の被害によって約六百五十名の死者・行方不明者を出す一方、原発事故の影響で住民は避難や避難準備を余儀なくされていた。市役所は政府による避難指示から地区ごとに別々の対応をしなければならず、住民とのコミュニケーションは困難を極めていた。防災無線も破壊され、市の広報誌さえ発行できなかった。この状況を踏まえ、支援のキーワードは「情報」であることを確信した。市役所と住民、住民と住民、避難者と市内に留まる住民をつなぐ情報ツールとしてのFMラジオである。ラジオ受信機の支援とラジオ局の側面支援、そして市外の避難所でラジオが聴けるようにインターネット環境を整備する支援に方向を定めることになった(特集-3 の楢崎の報告を参照)。

南相馬では引き続きこの放送局を支援しながら、別途放射能被害で苦しむ子どもやお母さんたちを支援する活動を模索している。

三春町、農民支援

農民支援の調査では、郡山市や三春町の農家を訪問した。彼らの話から、福島の農家が置かれている窮状(きゅうじょう)が想像以上であることを知った。四月始めの時点ですべての作物の作 付が禁止されていた。そして誰もが今後作付が許されたとしても、消費者に拒否されるのではないかという危惧、政府の安全基準に対する懐疑、そして農業の行く末についての不安に苛まれていた。

「農民は買ってくれる人がいなくても植え続けるしかないんだ。植え続けなければ心が折れてしまうんだ」と郡山で有機農業を営む中村さんは(うめ)いた。三春町の会沢さんは、「みんなが 息を殺して家にこもっている。滝桜の花見祭りも中止になった。このままではみんなだめになってしまう」と言う。この時私たちの中に、日本三大桜で有名な滝桜(たきざくら)の花見祭りを自主開催し、全国の有志を集めて農家と語る機会を作ろうという方針が固まった。

三春町、日本三大桜のひとつである滝桜。三春町、日本三大桜のひとつである滝桜。

「花見祭り」には福島内外から百名以上が集まり、農家の苦しみと放射能の危険性についての腹蔵(ふくぞう)ない意見交換の場となった。これをきっかけに三春では女性を中心に農産物加工グループがつくられ、十月には「収穫祭」が開催される。JVCも実行委員として企画に当たっている(六ページの西沢氏報告、本誌 二百九十号国内ひろばを参照)。

視点を変えずに関わる

JANIC(国際協力NGOセンター)が六月末に実施したという調査によると、福島で支援活動を行なうNGO団体は宮城県53%、岩手県32%に対して11%しかないそうだ。明らかに支援の偏りがある。それは、福島に関わるということは、原発事故と放射能の問題に否応なしに向き合わざるを得ないからではないだろうか。スタッフの健康への危険、原発事故を起こし被害を拡散させた東電や政府の責任、放射能を巡る住民間の分裂や支援団体の間の意見の相違、そして原発の恩恵である電気に依存している私たち自身に向き合うということである。安易な関わりは禁物である。しかしJVCは関わり続けようとしている。なぜか。

JVCが人道支援に関わる際の基準の一つに「日本社会との関わり。日本市民として責任がある場合」という文言がある。

「日本市民の責任」とは、今回の原発事故という大惨事にあたっては、原発のリスクと原発被害そのものを地方に押し付け果実だけを享受してきた都市住民、「沈黙する大衆」である日本市民の責任、と置き換えることができる。東京をはじめとする都市型の社会は、経済活動の両端、つまり資源の採取・生産と廃棄を外部に押し付けることで成り立っている。それが今回の事故で、原発や放射性廃棄物処理場の立地についても同様であることが改めて見えてきた。

言い換えれば、これは「問題の周辺化」、日本の地方や南の国への転嫁であって、JVCがこれまで取り組んできた諸外国での活動の背景にあるものと変わらない。この視点に基づいているからこそ、国内の出来事にもかかわらずスタッフから前述のような意見が出て、JVCは現実に取り組みを始めたのだ。

ではどのように関わるのか。美しいプロジェクトを描くことなどとてもできない。私たちにできるのは、地域に関わりながら被災した人々と共に悩み、人と人のつながり、コミュニティのきずなをつなぎなおすことを手伝うことである。自らも被災した南相馬災害FMのスタッフが私にこう語った。「東京の人は『危ないから逃げろ』とか、『もっとなぜ怒らないのか』と外から言ってくる。なぜ東京の人からそんなことを言われなければいけないのか。私たちは私たちでしゃんとしていたい。私たちがしゃんとしていられるような情報をこのFM放送で流していきたい」と。

このような人たちがいる限り、も彼らが立ち上がるのを支えたいし、この問題が忘れ去られたりあきらめられたりしないよう、彼らの思いを積極的に発信していきたい。そして、今回の事故をきっかけにしてこの国が今後どのように変わっていくのか、その変化の手がかりをつかみたい。

No.291 生き残った私たち2 (2011年10月20日発行) に掲載】