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[速 報]アフガニスタンのこれから

どんな状況でも対話の扉を叩き続ける

JVC顧問 谷山 博史
2021年11月 2日 更新

今年8月、タリバーンがアフガニスタンのほぼ全土を制圧して政権復帰した。メディアは、女性の人権問題や避難を求め空港に殺到する人々を報道するばかりで、政権奪取に至るまでの検証や対テロ戦争の検証もないままタリバーンを批判する。
だが、現地のNGOは早速タリバーンとの対話を重ね、9月上旬に女性の識字教育活動の許可を得た。この事例は、国際社会も、批判だけではなくタリバーンとの対話の扉を叩き続ける必要性を示唆しているのだ。

メディアと国際世論の混乱

タリバーンがアフガニスタンのほぼ全土を制圧して政権に復帰した。

アメリカの撤退開始から3ヵ月も経たない激変に世界は驚愕し、言葉を失った。この呆然自失の状態は今も尾を引き、今起きていることを冷静に判断できていない。メディアが女性の人権問題や避難を求めて空港に殺到する人々のことばかりを報道するのはその現れである。

このようなメディアの姿勢は9・11後のアフガニスタン攻撃のときと何も変わっていない。タリバーンとは何者で、なぜアメリカを敗退させるに至ったのか。アフガニスタンはどういう国で、そもそも同国への対テロ戦争はなんだったのか、膨大な額を費やした20年にわたる復興支援はなんだったのか。

歴史を遡らないと理解できない

アフガニスタン戦争が対テロ戦争として始められたことが大きなボタンの掛け違いの始まりである。アメリカは、通常の戦争ではなく講和なき戦争として始めたため、タリバーンとの交渉を一貫して認めなかった。これが、戦争を避ける機会と戦争を終わらせる機会を3度にわたって失わせ、アフガニスタンを20年にわたる泥沼の戦争に引きずり込んだ。

1度目は開戦直後。

タリバーンがビン・ラディンが犯人である証拠を示せばビン・ラディンを引き渡すとしと言ってきた時である。だがブッシュは交渉を拒んだ。

2度目は主要な戦闘が終わり、南部カンダハルに撤退したタリバーンが降伏の用意があると提案したとき。アメリカは提案を一笑に付し、追撃の手を緩めなかった。タリバーンは地下に潜った。アメリカはタリバーンを根絶やしにする掃討作戦を展開し、民間人を巻き添えにして多くの犠牲者を出した。

3度目は、2006年から08年にかけてアフガニスタン政府と国連がタリバーンとの和平に舵を切ろうとしたときだ。アメリカは和平の試みをことごとく潰した。その後、タリバーンはみるみる勢力を拡大し、勝利が視野に入ってきたため対話のインセンティブは失われていった。

2008年米軍ヘリから簡易ロケットが落とされJVCクリニックの境界壁が破損した事件で米軍に抗議するサビルラ  2008年米軍ヘリから簡易ロケットが落とされJVCクリニックの境界壁が破損した事件で米軍に抗議するサビルラ

定点観測と関与観察。私がアフガンに行った理由

JVCは、アフガニスタン戦争が始まろうとする緊迫した時期に、いち早く戦争による解決は復讐の連鎖を生むとする戦争反対声明を発表し、街頭での反戦デモにも参加した。

開戦後は、アフガニスタン国内避難民への緊急医療支援を開始。私は戦争が始まった時点で、当時の事務局長職を辞してアフガニスタンに行くと決めていた。世界のほとんどの国が賛成したこの戦争を、アフガニスタンの現場で、アフガン人の視点で見つめたいと思ったからである。戦争の実態と意味は関与観察することでしか見えてこないと思った。

まず指摘したいのは、米軍と多国籍軍による民間人への殺傷、アフガニスタンの文化を無視した家宅捜索や拘束、拷問が人々の外国軍への反感につながったことだ。スタッフの親族にも犠牲者は少なくない。タリバーンによる自爆攻撃や仕掛け爆弾による犠牲者も同様に多かったが、反感は外国軍により強く向けられていくのが手に取るようにわかった。

そして、「アフガニスタン政府も自分たちを守ってくれない」と思いつめた若者が何千、何万とタリバーンに合流した。復興の恩恵は都市と一部の人間に偏り、農村部の生活は戦争以前に比べても厳しさを増していた。一方タリバーンに頼ればケシ栽培による収入も含め、ある程度の生活が保障される面があった。こうした状況に対し、国際シンクタンクSENLIS評議会の06年レポートは、アフガン人の間に「被占領意識」が広がっていると警告を発している。

批判・静観する国際社会、ドアを叩き対話する現場

政権の座についたタリバーンに対して、国際社会の批判の声は鳴り止まない。自分たちが仕掛け、あるいは容認してきた残忍な対テロ戦争のことを忘れたかのごとくである。

そんな中、現場ではタリバーンのドアを叩き、すでに対話を始めている。JVCの元スタッフが設立したYVOのサビルラ代表は、事務所のあるナンガルハル県の新知事のもとをいち早く訪問し、対話のパイプを開いた。アフガニスタンのNGOの連合体ACBARジャララバード事務所を巻き込んでタリバーンのNGOコミッションとの会合も行った。

9月上旬、ナンガルハル県の行政府からYVOに女性の識字教育活動の許可がでた。サビルラが当局と交渉を重ね、文書で許可を取り付けた。しかも女性スタッフの活動への従事も認められた。YVOはすぐ女性教師のリクルートを開始した。

画期的なことである。8月の県NGOコミッションから全NGOへの通達にも医療と教育の分野に限って女性スタッフの就労を認めるとあったが、実行が危ぶまれていた。公教育ではなく、成人女性のエンパワーのための識字教育が認められたことも以前では考えられないことだ。

対話の真価が問われる

アフガンから来日したときのサビルラアフガンから来日したときのサビルラ

9月7日、タリバーン暫定政府の閣僚が発表された。副首相に穏健派で知られるバラダルがいる一方、もう一人の副首相に安保理制裁対象のアフンド師がおり、内相に強硬派のハッカニ・ネットワーク(HQN)の指導者でアメリカが指名手配するシラジュディン・ハッカニがついた。さらにHQNの幹部2名の閣僚入りを考えると、決して楽観できる状況ではない。

早速、メディアのネガティブ報道が始まった。それでも国際社会は対話の扉を叩き続けなければならない。タリバーンが国際社会の基準に歩み寄るか、アフガニスタンの人々を人質にした形で凶暴化するかは国際社会の対応にかかっている。

サビルラの次の言葉は、対話を続けてきた市民社会の真の強さを示している。
「対話のパイプを閉ざしてはいけません。対話しながら、関わりながら変えていくことができるはずです。私たちが地方でやったように、一つ一つの新しい成果がタリバーンを変えるはずです。地方でできたことは中央にも影響するはずです」

No.348 どんな状況でも対話の扉を叩き続ける (2021年10月20日発行) に掲載】