「長い間ほんまありがとう、今日でもう俺ら終りやな」
思い出せば長いものでかれこれ15年以上の付き合いでした。私は新しい恋人と共に歩もうと決意したその日、涙声でそう呟きました。
貴方を初めて抱いた日の朝、しつけ糸の取り忘れがつい昨日のようです。きめの細かい貴方の素肌に酔ってワインをこぼしたことも。通勤中に自転車のチェーンが貴方を傷つけたこともありました。思い出は尽きません。貴方のその肌触り。ダークブルーの生地。高めのゴージライン。華やかな印象を与えるピークド・ラ ペルの襟えり。こんな性格の私を知的に演出してくれましたね。一枚の布から作られた貴方は、まるで私の皮膚のように限りなくフィットしてくれました。
この職場に移ってから、周囲から貴方との仲をいろいろ言われるようになりました。そう、もっとカジュアルな相手の方が良いと。しかし私にはできませんでした。15年も寄り添った貴方を裏切るなんて!
...きっかけは、業務後の帰阪。新幹線に貴方がくたびれてしまうことを案じ、貴方以外の人と出勤したのです。その日、彼らの言葉が真実であったことに気づきました。別れの言葉を無言で受け入れた貴方。「泣いたらあかん、泣いたらせつなくなるだけや」私はそう自分に言い聞かせました。
貴方以外の人と出勤するようになって一ヵ月が経ちました。街でビジネスマンを見ると、今でも貴方のことを思い出します。涙とともに。でも再会の日が来年6月に、そう会員総会の日。その日まで私のウエストが収まるよう要管理。そうそう、湿度とカビにはくれぐれも気をつけてくださいね。お元気で、愛しい「スーツ」様。
【No.297 HIV/ エイズを「死に至る病」でなくすために
南アフリカでの取り組み (2012年8月20日発行)
に掲載】