いい歳をして独り身でいる私に、スーダンの友人たちは驚きを隠さない。道端のお茶屋でハイビスカス茶を飲みながら隣のオジサンと話していたら「どうして結婚しないんだ?俺なんか嫁さんが7 人もいるぞ」と目を丸くしていた。これが日本だったら「嫁さん7 人」にみんな目を丸くするだろうけど...。
一夫多妻の是非はさておき、友人たちの口から次に出てくるのは「ヨシ、まかせとけ。俺が嫁さんを探してやる」の一言。でも、幸か不幸か、本気で私をスーダン女性に引き合わせてくれた友人はひとりもいない。おかげで困った立場に立たずに済んでいるのだけど、ちょっと残念(?)。
自分が「結婚しない(できない)」ことを正当化するために、それが昨今の日本のトレンドだと私が説明すると、これまたみんな目を丸くして「理由は?」と聞く。労働時間が長いとか、理想ばかり高くて妥協しないとか、色々と理由を並べて、最後に「今の日本は働いても十分な収入を得られない人が増えていて、結婚を躊躇している」と話したら、ある友人にこう言われた。「なんて国だ!? スーダンは貧乏人でも結婚できるぞ」貧乏だと将来の不安ばかりが先に立って結婚できない国と、貧乏でも気にせず明るく結婚できる国。どっちが幸せなのか。
しかし、スーダンの文化は多様だ。先の友人は北部出身だが、「嫁さん7人」のオジサンは南部出身で、こちらの言うことは全然違う。「財産がなければ結婚できないぞ。俺は7人の嫁さんもらうためにウシを700頭も払ったんだ(彼の民族では花婿が花嫁の家族にウシを贈る)。おまえ、財産あるのか?」
そうか、今度「なぜ結婚しないのか?」と尋ねられたら「実はウシを持っていなくてね」と答えよう。