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外国人を暴力で排除。人種差別と闘った国が今なぜ?

南アフリカHIV/エイズプロジェクトマネージャー 冨田 沓子
2015年6月10日 更新

日本でも一部報道されていましたが、ここ数ヵ月、ゼノフォビア(移民排斥)が南ア国内で大変な問題となっています。

「外国人が自分たちの仕事を奪っている」

民主化20年を経ても、一向に改善されない貧困、格差、行きどころのない怒りと不満の矛先が、同じコミュニティ内に暮らし商売を営んでいる外国人に向けられ暴徒化し、死者をもだす最悪の事態を招きました。

ことの発端は...

2015年1月に、JVCも以前活動をしていたソウェトでソマリア人商店主が強盗に押し入ろうとした14歳の少年に発砲、殺害したことをきっかけに、1週間以上にわたり、ソウェトの広範囲にわたる地域で外国人が経営する商店が略奪にあいました。そのほとんどが白昼堂々の行為。
JVCスタッフが暮らす地域でも、毎日のように買い物をしていたバングラデシュ人の経営する商店が略奪され、以来店は閉まったままになっているそうです。

これがさらに悪化したのが、3月。
クワズールー・ナタール州(KwaZulu-Natal)で影響力を持つズールー族の王が外国人排斥を黙認するかのような発言したことをきっかけに、同州最大の都市ダーバン(Durban)近郊では南ア人による襲撃によって死傷者が発生するなど、移民や外国人を排斥する動きが拡大しました。一時期は数千人が難民キャンプに収容されるなど、その問題は全国に広がっていきました。

繰り返されるゼノフォビア

南アでは2008年にもゼノフォビア騒動が起こりましたが、その頃から南アに暮らす知人に聞くと、その時との大きな違いはゼノフォビアの対象となっている人たち。以前は鉱山などのフォーマルセクターの「仕事に就いている」外国人が被害に合い、まさに南アの労働者層から仕事を奪っていることへの不満が直に表れた形でした。

しかし、今回のゼノフォビアの被害者のほとんどがタウンシップで小さな商店を営む外国人たちです。彼らのほとんどが紛争で国を追われた難民や、極度の貧困により自分たちの国を離れざるを得なかった移民です。中には南アで生まれ育った人たちも含まれています。店の中に泊まり込んだり、近隣のシャック(掘っ立て小屋)に暮らしながら苦しい生活を送っている人が大半。そしてなにより、タウンシップで生活する人びとに寄り添ってサービスを提供しているのです。

そういった意味では、2008年と比べると「外国人が、南ア人が就けるはずの仕事を奪った」という理由づけは成り立たなく、社会に対する不満のはけ口として、たまたま目の前にいた「部外者」がターゲットになったという意味で、今回の一連の騒動がより劣悪に思え、くすぶる社会への不満の深刻さがうかがえます。

孤立する南アフリカ

今回の一連のゼノフォビア報道にいち早く反応を示したのが、アフリカ諸国です。

ジンバブエ

有志が南ア商品やサービスの不買運動を開始。同国は、国民の200万人前後が南アに出稼ぎに出ていると言われるほど密接な関係にあります。

モザンビーク

ムプマランガ(Mpumalanga )州との国境付近で南ア国籍のトラックの通行を妨害する運動が勃発。ガソリン輸送タンクを抱える会社が一時300台以上のトラックを安全上の理由から停止しました。

ザンビア

ミュージシャンの呼びかけにより、ラジオ局が南ア音楽をボイコット。

ナイジェリア

南ア資本の携帯通信会社MTN支社前で、大規模なデモが発生。投石などの被害を受けました。

ゼノフォビアの起きた南アに反発してソーシャルメディアに出回った「新アフリカ地図」ゼノフォビアの起きた南アに反発してソーシャルメディアに出回った「新アフリカ地図」

FaceBook上では、「新しいアフリカ地図」と題して、南アフリカが排除された地図が出回るなど、ソーシャルメディア上でも怒りの声が多く聞かれました。AU(アフリカ連合)からも非難の声が浴びせられました。

これも2008年の際に比べると、より激しい反発が各国からありました。ソーシャルメディアなどを通して、暴力を振るうようすが生々しくリアルタイムでシェアされたことが一つの理由です。でもそれだけではなく、経済的、社会的な発展を見ても近年「アフリカ大陸の大国」の地位を徐々に降りざるを得なくなってきている南アに対する、各国の態度が変わってきたことも挙げられるのではないでしょうか。

いち早く反応したメディア

このゼノフォビア騒動の最中、私がすごいな、と思ったのはいち早く反応した国営テレビ局SABCと国営ラジオ放送SAFMでした。 私は自宅にテレビがないのでもっぱらラジオで報道を追っていましたが、毎日数回に渡りこの問題に関するディベート番組を組んだり、ゲストスピーカーをよんだり、各国の反応を中継したり。
自由民主化運動の際のスピーチや、マンデラさん生前の肉声メッセージを流し、「虹の国」南アフリカの本当の意味を考えようと、訴えかけていました。

そのメディアの反応の素早さもすごかったですが、自体が収束にむかっている今でも、いかに排除された外国人がもと暮らしていたコミュニティに帰還に努力を続けているか、そのためのコミュニティ内で行われたダイアログの中継をするなど、一時の出来事としてではなく、絶えず報道し続けています。

これ以上に被害が広がらないように、そしてこの問題を長期的で、南アに暮らす人一人ひとりに変化が求められる問題としてとらえる報道の在り方は、一筋の希望であるように思えました。

「虹の国」へはまだほど遠い

多くの人がゼノフォビアに異議を唱える中、よくきかれたのが「アパルトヘイト闘争中には、多くの国々が私たちを助けてくれた。その恩をあだで返してはならない」「アパルトヘイト中に助けてくれた国々の人を守らなくては」という声でした。確かにそれは一理あり。ただ「前に助けてくれたから」ではなく、誰に対しても暴力を使ってその人の生活を脅かすことは間違っているということを認識する必要を強く感じました。

虹の国を創ろうという理想を掲げたものの、それを具体化していく上で、あまりに多くに人びとが取り残されてしまった、この21年間。貧困問題の解決の遅れだけでなく、学校での教育、コミュニティ内の調和、地方行政と人びとの間の信頼関係創りなど、コツコツと進めていなければならなかったホンモノの民主化プロセスが大きなものに隠れおざなりにされ、「虹の国」の理想が南アの人びと全体に浸透してこなかった失態が、今回のような一連の騒動で浮き彫りになったように思えます。

アパルトヘイト終焉から21年、その間に生活がより悪くなった、変わっていないと感じている人びとの不満は、これからもさまざまなかたちで社会に影響を与えていくのでしょうか。