苦しい国の台所事情

 ラオスは市場開放前は、国家予算の3分の2が外国からの援助でした。その最大の援助国ソ連が崩壊したため、外貨獲得に必死にならざるを得ませんでした。

 ほどんど鎖国状態だったラオスが国交を開き、「戦場から市場に」を合い言葉に市場開放したのです。憲法よりも先に外国投資法ができたくらいですから、いかに外貨獲得を優先したかがわかります。

 その反面、急速な経済の変化に警戒感を持っていたようです。表向きは外国企業の進出を歓迎する一方、進出企業にはいろいろな制限がありました。

 経済におけるタイの影響力が強かったため、バーツ(タイの通貨)経済圏に呑み込まれてしまうのではないかという懸念があったからです。事実、10数年前までラオス国内でもバーツで買い物ができていました。

 国の財政は今でも苦しいく、世界遺産であるルアン・プラバンの王宮博物館が財政難のため収蔵品の保存や修復が難航しているほどです。

メコン河にはじめて架かった橋、ミタパープ(友好)橋。市場開放政策の一貫として作られました。