|
独立戦争や内戦、革命によりメコン河を渡った難民はあとを絶ちませんでした。その数は国民のなんと10分の1、約30万人の人たちが難民となりました。
社会主義に変わったときが特にひどく、そのほとんどが旧王国政府の役人や知識人、実業家、華僑、そして大国に戦闘員として使われた悲劇の民族、モン族でした。
彼らはボート・ピープルと呼ばれていたベトナム難民に対し、リバー・ピープルと呼ばれました。(もっともこんな言い方をしたのはアメリカでしょうが。)
なぜこの様に多くの人たちが難民になってしまったのかというと、資産家、役人はもちろん知識人たちも迫害されるという情報が飛び交ったからです。
両国を挟んでバラバラになった家族も今では国交が回復して再会できるようになりました。
しかし難民先のタイで築きあげた生活を故郷とはいえラオスに戻ってやり直すのは難しく、帰国しない人もいるようで、それぞれの事情があるようです。
|
|
|