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ラオスはフランスからの独立後、アメリカの軍事介入により、左派、右派、中立派に分かれて、それぞれの思惑が絡んだ内戦となりました。
驚いた事に左派が掲げた人物が、時の王族の四男スパヌヴォンで、王族出身者が社会主義をかかげるというなんとも変な話です。
さらに次男のプーマは中立派。三男のワッタナが王位を継承し、兄弟(本当は異母兄弟ですが)それぞれ分裂してしまったのです。兄弟喧嘩とは簡単に片付けられませんが、簡単に言うとそういうことです。
その後は連合政権やクーデターで目紛しく変り、なかなか政情は安定しませんでした。しかし最後はベトナムのサイゴン陥落で左派が勢いづき、あっさり終結しまた。
ラオスがベトナムと違ってアメリカと全面戦争にならなかったのは、62年にジュネーブで行われたラオス会議で、三派連合の中立政権を条件に他国の軍隊を撤退させる条約が結ばれていたからです。
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サバナケットの革命記念博物館より。手前は戦場のジオラマ |
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