空想を巡らすジャールの石壺

 ラオスの屋根といわれるジャール平原に誰がなんのために作ったのか、身の丈ほどある石壺が無造作に、しかも大量に転がっています。

 1931年、考古学者コラニー女史により発見されました。最後の地理学的未開の地ヒマラヤが発見されてから約20年後とはいえ、女性ながらよくあんな所に行たとそっちの方で驚きます。

 この石壺に関する文献はなく、わずかに人骨と副葬品と思われる品が発見されたため彼女は大規模な石棺群と発表しました。94年に日本の調査団も入り、やはり人骨等が発見されたため石棺群説が最も有力です。

 他にも「酒壺説」や「米壺説」、さらに「宇宙人説」なんてものもあります。

 某元スタッフの説ですが、ラオス人はもともと宇宙人で壺型のUFOに乗ってやってきて、カオニャオ(もち米)を食べながらサバイ(気楽)な気持ちで世界征服をねらっていたが、長いこと居座ってしまったためUFOの乗り方を忘れてしまい置き去りにされたと言うのです。

 考古学ってわずかな手がかりを元に、想像力をかき立てられて面白いですね。

ジャール平原は「石壺の平原」という意味で名付けられました。普通の人はこの壺をみて仮説を考えるほど無駄なことはないと思おうでしょう。(写真=小野 崇)