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1945年8月、日本が敗戦。幽閉させられていたシー・サワン・ウォン王、その長男 ペツァラート副王はこれを期に臨時政府の首相となり、独立を宣言しました。が、そうは問屋がおろさなかったのが元占領国のフランス。軍事力にモノをいわせどんどんラオスを占領し、結局首相はタイに逃れ、亡命政権となってしまったのです。
それでも“自由ラオス(ラオ・イサラ)”という義勇軍のもと闘いは続きました。なんとかフランス軍に対抗できる強い軍隊を作るためにも現地に残された日本の敗残兵を雇ったのです。勇敢で知られていた日本兵に軍事教練をしてもらい、少しでも局面を打開したかったのです。
その中には「ラオスに捧げたわが青春」(中央公論社)の 著者で知られる山根良人氏がいました。山根氏は常に第一線で闘い続けていたため、その内容は熾烈を極め、いかにラオスでの闘いが激しかったかが伺いしれます。
ラオスに限らず独立を手助けした日本兵は各国にいました。しかし独立を成し遂げても、冷戦の最中、内戦にも巻き込まれてしまいます。そして戦争が終結するとその国の都合なのか、ほとんどの日本兵が退役させられ、または帰国しました。しかしそういった人はごく少数で、ほとんどの人が異国の土となりました。
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| 現地に山根氏を知る人がいて、どんな人かと聞いてみたら、軍人らしい軍人だったそうです。 |
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